曖昧にされた天皇の戦争責任

 8月15日について、一橋大学大学院教授の吉田裕氏は、語る。

 「8月15日自体に、それほど大きな歴史的意義があるわけではない。むしろ重要なのは、8月14日と9月2日である。1945年8月14日は日本に降伏を勧告したポツダム宣言の最終的受諾を日本政府が通告した日、9月2日は、日本政府が降伏文書に調印した日である。

 8月15日は、昭和天皇がポツダム宣言受諾の事実をラジオで国民に伝えたに過ぎない。

 8月15日がことさら十時されるのは、昭和天皇の「聖断」によって戦争が終わったことを強調することによって天皇の戦争責任を曖昧にするためである。その一方で戦争を始めた日、たとえば7月7日(日中戦争)が想起されることはほとんどない。

 72年前の15日正午のラジオからの「終戦の詔書」が流れた。その内容は、このまま戦争を継続することは、日本民族が滅亡するため戦争終結を決断したと述べるとともに、「国体」(天皇)が存続することを一方的に宣言したものだった。この段階では、連合国側は天皇制の存続を認めることを明言していないにもかかわらずである。

 この日の新聞も放送後に国民が皇居前広場でぬかずいて天皇に「不忠をお詫び申し上げる」姿が報道されている。しかし、これは、事前に書かれた予定稿だったことを朝日新聞社は明らかにしている。(『新聞と昭和』朝日新聞出版2010年)

 そもそも敗戦後の数年の間は、8月15日ではなく9月2日にアジア・太平洋戦争を回顧し、平和への誓いを新たにする内容の記事が掲載されるのが通例だった。それが50年代前半には、8月15日に移行し、さらに1963年からは、この日に政府主催の全国戦没者追悼式が開催されるようになった。この段階で8月15日に公的な意味が与えられるようになったのである。

 全国戦没者追悼式は、首相の式辞をみれば明らかなように、日本人の戦争犠牲者だけを追悼する完全に内向けの国家儀式だった。それが日本が行った侵略戦争と植民地支配の歴史に対する批判が内外で強まる中、1993年の終戦記念日で細川護熙首相が首相式辞として初めてアジアと世界の戦争犠牲者に対して哀悼の意を表明し、以後歴代の首相は首相式辞の中で必ずアジアに対する日本の加害行為に言及するようになる。

 それを覆したのは安倍晋三首相である。

 安倍首相は、2013年の終戦記念日以降、加害問題に言及することをやめただけでなく、歴史の教訓に学ぶという趣旨の文言も次第に曖昧となり、昨年の式辞では、「歴史と謙虚に向き合い」という表現に後退している。また、式辞も次第に短くなっている。これは歴史の流れに対する逆行である。今年の8月15日の首相式辞にあらためて注目したい。」             (赤旗新聞8月15日P7『8月15日を考える』要約・抜粋)