保育園・小学校の運動会に参加させていただきました。

 競争と選別の教育・学校になっていないだろうか

9月30日は内海小学校、10月4日は、内海保育所の校内運動会に来賓として参加させていただきました。ありがとうございました。

教員の時、運動会は、学校の中心の体育主任として、その計画・運営に係わってきましたが、今回改めて運動会の種目を観察して感じたことがあります。

それは、徒競走です。「徒競走は、果たして運動会に必要な種目なのか」ということです。

子どもたちは、年齢順・男女別・タイム順等で振り分けられて走っています。(走らされています。)当然1番・2番・3番・・と順位がつきます。その順位を小学校の場合は、得点とします。保育園の場合は、得点にはなっていません。

さて、さて徒競走で、子どもたちに選択の自由があったのでしょうか。一人ひとりの子どもたちが、走りたいという願い、思いは満たされていたのでしょうか。

走るという行為は、あくまでも自主的・自発的なものです。子どもにとって気持ちがいいから走るという行為(運動)が成り立ちます。要するに、走りたいから走るのです。無理矢理走らされるのはおかしいのではないか。事実、今日の保育園でも泣き続けて走ろうとしなかった小さな幼児さんもいました。(先生が抱きかかえたり、寄り添ったりしてテープを切っていました。)

運動会というのは、どうしても観客を意識した大会になりがちです。無理に並ばせて・競わせることになりがちです。無理に競わせることで、その差別された結果を観客が楽しむものになっていないかを問うことが必要に思います。

小さな幼児たちが運動を嫌いにならないように、保育士さんたちは、あらゆるところで苦労されていました。小さな幼児たちの玉入れは、みんなで玉を投げること、そしてそれを入れることを楽しむものになっていました。決して競争のための玉入れではありませんでした。しかし、少し年令が上がった玉入れは、競争が入り込んでいました。

今、学校は、競争と選別・差別の教育を推進させられようとしています。それは、指導者がよほど意識しないと気づかない場面で進行しています。

徒競走もそのような一面があるのではないかと思います。

運動会の主役は、あくまでも子どもたちです。成長の主役もあくまでも一人ひとりの子どもたちです。

 

賛否両論がある問題だと思います。私自身もこれからも考え続けていきたい課題です。