H30年南知多町戦没者追悼行事開かれる

  南知多町の戦没者追悼行事が10月11日に開かれた。日本遺族会に関係する方々の御霊967柱を今年も慰霊した。社会福祉協議会が中心にした行事であり、君が代斉唱から黙祷そして、追悼の挨拶が並んだ。追悼の言葉の中に「英霊」の御霊を追悼するとの言葉がならんだ。二度と戦争をしない決意も語られた。

式の中、今我々が真に追悼することが、菊を献花するだけなのかを自問自答した。戦争による戦没者という言い方は、残された遺族からは、どうしても、あの戦争を肯定的にとらえようとすることはどうしようもない。

 

しかし、真に亡くなった方の御霊を真に追悼することとは、あの戦争の本質をもっと意志化することではないだろうか。それは、日本遺族会で語られている、「大東亜戦争」の本質がなんであったのかを我々自身がもっと深く、内面化し、語ることができるようすることだ。被害者意識だけにとらわれない総合的な戦争視点をもつことではないだろうか。それは、まず、加害者としての戦没者・被害者しての戦没者の視点の両面をもつことであろう。

 

戦後の残された家族の苦しみは、戦前の天皇・軍部の命令によって引き起こされた無謀で、間違ったアジア侵略戦争に駆り立てられていった結果による犠牲だ。国の責任によって戦没者が発生し、その戦没者の中には、アジアの人々を殺している方もいるということである。そして、広いアジアの中に南知多町の遺族と同じ苦しみをもつ遺族が存在しているということでもある。殺し・殺され、奪い・奪われる、侵し・侵されることが戦争だ。南知多町の多くの戦没者は、直接敵と戦闘を交え死亡した方は少なく、無謀な作戦による中国・アジア戦線での餓死・病死がほとんであると聞いている。「英霊」たちは、泣いている。

 

南知多町の歴史の事実としての子ども達に語り継ぐ事が必要だ。この967柱の具体的な戦争事実を知らせることだ。いつ、どこで、どのような最後をとげたのか。それは、どんな戦闘・戦争だったのか。戦争責任を曖昧にしない追悼とあの戦争の事実を語り継ぐことが我々大人の町民に問われている。憲法に詠われた「二度と戦争はしない。二度と戦力はもたない。」が固い決意となるように・・・・・。

    戦没行事の後、社会福祉協議会に、967柱の各地区の具体的な戦争犠牲者の数を教えてもらった。

内海地区、264柱   豊浜地区 311柱 師崎地区 191柱 篠島地区 125柱 日間賀地区 76柱 

 二度と戦争をしてはならない。

 戦争の準備につながる改憲をさせてはならない。

 安保法制・特定秘密保護法・共謀罪法は廃止にしなければならない。