主権者は私たち、天皇制賛美に踊らされるな!

  天皇制賛美の報道が垂れ流されています。主権者は私たちです。

 愛媛の高井さんからのメールを以下のように紹介させていただきます。

 

 すでに、新元号の発表や「平成と明仁天皇の最後」騒動の中で、

天皇制に関する疑問や批判的視座など全く皆無の、ただただ、天皇―天皇制を大讃美する報道が垂れ流されています。

 

このような状況の中で、5月1日には、〈剣璽等承継の儀〉と、それに続いて、〈即位後朝見の儀〉が行われます。

 「剣璽等承継の儀」とは、ご存知のように、あの「三種の神器」の継承儀式です。

 「記紀」神話において、皇祖アマテラスが「葦原瑞穂国」 (あしはらのみずほのくに)(日本)を支配させるために、孫のニニギノミコトを地上に下した(―天孫降臨)ときに持たせ、皇位に在ることを示すと「されている」、あの「神器」です。

 

昭和天皇が、息子―明仁皇太子への手紙に、「戦争をつづければ三種の神器を守ることも出来ず」と、戦争をやめた理由を記した、あの「神器」です。

 

ところで、この「天孫降臨」時、アマテラスは、「三種の神器」とともに、ニニギノミコトに『お言葉―神勅』を与えたことに「なっています」。 

それは、【「葦原瑞穂国」は我が子孫が王たるべき地(クニ)、行って治めよ。天皇の位(の盛んなこと、栄えること)は天壌と共に無窮】という意味のものです。

 

(ちなみに、大日本帝国憲法第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」は、その根拠をこの『神勅』においています。)

 

つまり、何と、天皇は、三種の神器の継承と『アマテラスの神勅』(―つまり、人民ではなく、アマテラスの委託)によって即位し、その後、三権の長らを拝謁させて、「即位後朝見の儀」を行うというのです。

 

ここでは、「臣下が天子に拝謁する」という「朝見」の意味どおり、臣下・首相が天皇に対して、「誓いの言葉」を述べます。

 このような、「臣民の服属を求める」性格をもつ一連の儀式が、人民主権下の日本国内で、再び、行われようとしています。

 

しかし、現在の天皇は、憲法によってしかその「地位」の根拠を持ってはいない、憲法によって創設された機関―存在です。その「天皇の地位」は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」以外、何らの根拠を持たず、もし、その「主権者の総意―意思」が存在しなくなれば、自らの「地位」も存在しなくなる、そのような性格の存在―「地位」なのです。

 

そうであるにもかかわらず、大多数の国民は、天皇と国家が行うこのような儀式を何らの違和感も、抵抗感も抱かぬまま受容し、祝福さえしようとしています。 

 

この異常なまでの「服属・従属性―主権者意識の無さ」の重大かつ深刻な問題性に、私たちは、そろそろ、気づかなければならないと強く思っています。